三本目の裏通り

見たもの、考えたことの覚え書き

外に出たい気持ちとどう折り合うか

新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
私は週に一度か二度だけ出勤し、そのほかの勤務日は在宅勤務をすることになった。在宅勤務の日に家の外に出る機会といえば、食料品や当座で必要になった日用品を買いに行くくらいである。
そんな生活をしてみて思ったことは、「多くの人にとって『家から出るな』というのは難しいことなのだ」ということだった。

 

スーパーマーケットの混雑が話題になっている。私の家の近くにあるスーパーも御多分に漏れず人が多い。特に休日は、普段の休日と比べても多いような気がするくらいだ。家族連れもいるし、お年寄りもいる。人の動きを眺めていると、保存がきく食品をまとめ買いしているという感じはしない。そういう買い物をする人もいるが、多くの人は普段通りの買い物をしているように見えた。

 

ある日、半日だけ出勤することになって、昼過ぎのオフィス街を歩いていると、妙に人が多いと感じた。私の会社も近くの会社も、出勤する人は相当減らされているはずなのだが、その割に人が多い。多くの人がめいめいに昼食をとりに、あるいは弁当を買いに外に出ている。
普段であれば弁当を持ってくる、あるいは社員食堂やビル併設のコンビニで済ませる人のうちかなりの割合の人が、今日のお昼は外に出ている。そんな気がした。少なくとも私の会社と隣の会社の食堂やコンビニは開いていたにもかかわらず、だ。

 

ネットを見てもテレビを見ても、ずっと「不要不急の外出は自粛して」と呼びかけている。
「多くの人が外出している、日本人は不真面目だ」と言う人もいる。私はそうではないと思う。日本人はやっぱり真面目だ。「不要不急の外出」は自粛して、「不要不急」ではない外出は続けている。スーパーに食料品を買いに行くことも、仕事の合間に昼食をとりに行くことも、「不要不急」と考える人は少ないだろう。人間は食事をしなければ生きていけない。肉体的にも精神的にも、食事をしなければ苦しくなる。


もう少しシニカルな見方をすれば、「言い訳ができる」外出をしている、とも言える。食事をしなければ生きていけないのだから食料品を買いに行くのは構わないだろう。一人でランチに行くのは構わないだろう。気がつけば自分自身にそう言い聞かせている人は多いのではないかと思う。私も、その一人だ。

 

きっと、私も含め多くの人は、まったく外出しない生活はなかなかできない。
それぞれの人に、耐えうる最低限の外出の頻度というものがあって、普段はそれ以上の頻度で外出をする。スーパーでの買い物や、満員電車での通勤や、好きなアーティストのコンサートや、10連休を丸々使った旅行や、隣町の日帰り温泉施設での入浴。その中には「不要不急」とされるものも多い。一人一人の精神的安定を支えているのは「不要不急」だし、サービス業の比重が高い日本経済を回しているのは「不要不急」だ。
こんな状況だからしょうがないね、と言える人は立派だと思う。だが、「不要不急」を我慢できる立派な人たちでも、外出そのものを我慢することには、また別な困難が伴うのではないか。だから、数少ない「不要不急」ではないとみなされる外出先に、多くの人たちが集中するのではないか。

 

東京都がスーパーでの買い物は3日に1回にするよう要請するらしい。ある程度の食べ物はあるから不可能ではないが、さすがに従えないのではないかと思う自分がいる。もし本当に要請が出たら、毎日、あるいは2日に1回の割合でスーパーで買い物をしてきた(私を含め)多くの人たちは一体どうするのだろうか。
要請を無視することには心理的負担を伴う。心理的負担の軽い外出先といえば公園をはじめとする屋外の開放的な場所だろうが、最近では公園で遊んでいる親子連れを見つけると市役所に通報する人まで現れているらしい。そこまではいかないまでも、人口が密集する大都市圏でみんなが同じように考えれば、いかに開放的な場所といえども人が密集してしまう。そう、先週末の湘南のように。

  

(私を含め)外出自体をさらに減らすのが難しい人たちは、これから外出先としてどこを選ぶのだろう。
最善手は外出自体を減らすことであることは間違いないとしても、おそらく「どうしても外出したいなら比較的マシなのはここ」という場所は存在するのだろうと思う。ただ、立場のある人がオフィシャルに発言することは難しいし、多くの人がそう思えば結果が変わってしまうかもしれない。役所も政治家も専門家も、「外出自体を減らしてください」と言い続けるしかない。

 

外出をゼロにするか普段通りにするか。答えは2択ではなく、その間のグラデーションの中でどのあたりを選び、行先としてどこを選ぶかの問題だ。
残念ながら、こうしたらいい、という明快な答えは出せない。極端な話、5月6日まで毎日家から出ずに食事は三食カップラーメンというわけにもいかない。ただ、しばらくの間、ゼロと普段通りの間で、うまく折り合いをつけて生活していくほかなさそうだ。