三本目の裏通り

見たもの、考えたことの覚え書き

すべてはここにつながっていたんだ


アニメ映画「君の膵臓をたべたい」をまた観てきた。

2回目はどんな感想を持つだろう、家に帰ってからどんなシーンや言葉を思い出すだろう、と思っていたのだが、結果的には、頭に残った言葉は1回目と同じだった。

「君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を出会わせた。」
ヒロイン山内桜良は、そういう意味のことを言った。
二人にとってとても重要な場面で、彼女は、二人の一つ一つの選択が重なってその場面をつくりあげたのだと言った。
二人が物心ついてから、その時までの選択が、全てその時につながっていたのだ。


「すべてはここにつながっていたんだ」
そういうことを感じたことがある人は多いと思う。
多くの人にとって、おそらく一度くらいは、そういうことを感じる時がある。

帰り道、ある曲の歌詞を思い出した。SuperflyのStarting Overという曲だ。
この曲は過去を振り返り未来に向かっていくような曲で、その終盤にはこんなフレーズがある。*1

光と影 泣いた空 抱きしめて
全てはここに繋がっていたんだ

この曲は結婚式で使われることが多いという。
劇的な出来事が生じて心を動かされたとき、人は、「あの選択があったからこうなったのだ」「あの出来事があったことも見逃せない」「そういえばあの行動も影響している」と過去を振り返り、「すべてはここにつながっていたんだ」と感じるのだろう。

この物語の主人公は何らかのきっかけで他人と関わらずに生きていくことを選び、ある学校に入学することを選び、休み時間には本を読んで過ごすことを選んだ。そして、あの日病院で文庫本を拾い上げて開くことを選び、桜良と一緒に焼肉に行くことを選び、選択を積み重ねて、あのシーンに至った。

桜良は友人と関わりながら生きていくことを(無意識であれ)選び、ある学校に入学することを選び、ある男子と付き合うことを選び、別れることを選んだ。そして、あの日病院で落とした文庫本を取りに戻ることを選び、図書委員に立候補することを選び、選択を積み重ねて、あのシーンに至った。

もしも、彼女が文庫本に思いを綴ることをしていなければ、彼が病院で本を拾って開かなければ、ホテルマンが手違いをしなければ、彼女がカバンの中身を彼に取ってもらわなければ、元カレが彼に迫らなければ、あのシーンは存在しなかった。

あるいは、私はTwitter上である人をフォローすることを選び、RTで回ってきたあるツイートに星をつけることを選び、そのツイートをした人をフォローすることを選び、その人が勧めていた小説を読むことを選び、その小説をもとにしたアニメ映画を観に行くことを選び、あのシーンを目にすることになった。

一つ一つの選択が、あのシーンにつながっていたのだ。


この物語の主人公は、劇中でこう語る。
「『君」と出会うために、僕は選択して生きてきた」

そして、それまで家族以外の人と関わろうとせず、すべてを自分の想像の中で完結させてきた彼が、初めて積極的に人と友達になろうとすることを選んだところで、エンドロールが流れる。
エンドロールが終わると、その相手もまた彼と友達になることを選択し、二人が桜良と彼女の母親の願いを叶えることを選択したことが示されて、物語が終わる。

Starting Overという曲には、もう一つ印象的なフレーズがある。*2

今 Starting Over 走り出せ
小さな愛が響き合う瞬間へ

人と関わろうとせず、「小さな愛が響き合う瞬間」から縁遠かったであろう彼は、きっとこれから、そんな瞬間を幾度も経験することになるのだろう。
そしていつか、桜良の言葉を思い出して、彼もこう感じることになるのだろう。

「すべてはここにつながっていたんだ」
 


アニメ映画の入場者特典として、彼のその後を描いた書き下ろしブックレットが配布されていた。
そこでは、きっと何度も「小さな愛が響き合う瞬間」を経験したであろう、数十年後の主人公の姿が描かれていた。そして、その小さな物語の終わりは、読者に「すべてはここにつながっていたんだ」と思わせるものになっていた。

原作でもアニメ映画でも、物語はほぼ同じシーンで終わる。そこからの彼の人生は、読者の想像の中にある。彼の人生は、桜良の死後も、きっと彼女を抜きにしては語れない。二人の出会いは、二人がともにした時間は、彼の思う「ここ」に、いつもつながっている。桜良の存在は、彼の「ここ」に、読者の「ここ」に、光と影を落としながら、きっとこれからもつながっていくのだと思う。

*1:出典「Starting Over」Superfly、越智志帆作詞。2013年発表

*2:出典は同じく「Starting Over」Superfly、越智志帆作詞。2013年発表